今日はキチンと録画。特番NO WAY OUTと翌日RAWを合わせて5時間。気合いを入れないと見られません。
久々にYahoo!のオークションに参加。落札成功。MBX50のパーツリスト。勢いで。ほんとに直るのか?MBXは。
http://www.takedown.com/evidence/transcripts/index.html
いろいろとありました。現在、仕事に対するモチベーションは低いです。また一人、会社から去って行く人がいました。私に近いところにいる人だったので、残念ではあります。お世話になりました。
そして、相変らずの漫才を延々とやっている人も居ますね。いい加減イライラしてくる。ウザったい。耳栓を持っていこうかな。イヤホンつけて音楽を聞きながら仕事するか。
いろいろと見てまわってたら、180SXのホイールの限界サイズとして、
前後フェンダーツメ折が前提で、 F8JJ×17 215/45、R9JJ×17 255/40、 オフセットはともに+35付近
つー記述をハケーン。むぅ。車屋曰く「普通に乗るなら」と言っていたサイズがこれですね。「イバって乗るなら」フロントも9JJと。フロント9JJも入れたことがあると言ってたし、イバってフロント9JJ履くだろ!!と思う今日この頃。でも本当にとびでないんですよね?4月からは犯罪(刑法犯)になってしまうっぽいんですが(修正命令破棄の場合)。ツライチと言いながら、私には飛び出ているようにしか見えない車もあるんですけれども。
_ h [4月になれば可愛い後輩が入ってくるさ。って、そういう問題でないのか。]
3/11の大地震発生時は、客先作業をしていて、客先ビル内にいた。仕事をしてたフロアには、地震感知器が取り付けられていた(が、そのときはそれが地震感知器だとは知らなかった)。午後の仕事を始めてしばらくたち、眠気がピークに達しているとき、壁に下がっている機械が突然点滅を始めた。よく見ると、予想震度3とか書いてある。そして、揺れがここに到達するまで30秒くらいとの表示。カウントダウンが始まった。
カウントダウンが進むにつれて、周りの人たちも地震感知器に目を向け始める。震度表示が3であるためか、ちらりと見るだけでいつものように仕事に戻る人も多かっただろう。自分は初めて地震感知器の動作を見て興味津々。どのくらいの精度でくるのかなーなどと考えていた。
でも、初期の小さなぐらぐらがすごく長い間続いている。周りの人も、最初の縦揺れが長いってことは、遠くで大きな地震があるってことじゃないかな?と話を始めている。
その直後、揺れ始める。「おーおー結構でかいね。」などといっていると、ゆれは大きくなってくる。収まる気がしない。フロアの管理者が大声で「立つな!みんな机の下へ!」と叫ぶ。なんかもう現実感がない。机の引き出しががたがた開いたり閉じたり。いつまで続くのか、これって震源どこよ。大災害じゃないか?とか考えていたら、やっとゆれが止まった。
その後みんな呆然としつつ、情報収集。三陸沖らしい、震度6強?震度7?等の情報が飛び交う。それが落ち着くと、家族に無事のメールだけ投げて、しばらく普通に仕事。小一時間ほど仕事してると、整理された情報がいろいろ入ってくる。余震もガンガンくる。常に揺れてる感覚。津波が大変なことに。空港が水没してる。一番の情報源はケータイのワンセグで見るニュース。
18時になって仕事終わり(と言っても後半はほとんど手つかず)。電車が動いてない。家には帰れないにしても、自分の会社に戻ればいいやということで、表参道から神田まで歩くことに。一応、小田急がどういうつもりでいるのかを確認しようと新宿を経由して歩くことにした。ビルの中の自販機で水を買ってから出発。ケータイは発信制限されているのか、まったくかからず。しばらく歩くと、BS朝日のビルの前のモニタにひとだかりが。地震と津波の映像が流れている。CNNのニュースも。このあと何日も連続で見せられるすさまじい津波の映像をここで初めてみた。途中、何軒かコンビニがあったのでのぞいてみると、ケータイに充電できる電池とかが空っぽになってる。レジはすごい行列でお弁当や飲み物をみんな持っていた。そのまま明治通り沿いを歩いて新宿駅に向かう。ものすごい数の人の流れ。どっから出てきたの?とか考えながら流れにのって歩く。
19:00前くらいに新宿駅に到着。小田急の改札前では、そこにおいてある旅行パンフレットを床にしいて、みんな座り込んでいる感じ。公衆電話で家族にだけは連絡しておこうかと列にならんだけど、全く動かないのであきらめた。警察官に向かって「電車はいつ動くんだ!?」と詰め寄る人も。意味ないし。警察官は「地震の影響で危険がないか、電車会社も確認を急いでいると聞いている。点検が終われば動くと思うが、このあと一時間で動くのか、明日の朝に動くのかどうなのか、全くわかりません」と答えている。ですよね。
しばらく東南口前のでかいモニタを眺めながら情報収集。のつもりだったけど、津波の映像しか出てこない。電車も「止まってます」以上の情報はなし。20分ほど眺めて、神田の会社に向けて出発。新宿通りを四ッ谷方面へ。四ッ谷駅付近まではものすごい数の人の流れを逆流することに。四ッ谷〜半蔵門〜九段下ではほとんど人がいなかった。九段下〜神保町〜神田まではそれなりに人が歩いていたけど、方向はいろいろ。
21:00くらいに会社着。4人くらい残っていた。歩いて帰れる人1人。残りは歩いて帰るのがムリな人達。「生命の危機」を感じるほど揺れたと言っていた。確かにPCやら書類やらが大変なことに。22時近くになって腹が減ってきた。ビルの下のコンビニにはお菓子しか残ってない。近くの「世界の山ちゃん」に電話したら、普通に営業中。だけど満席。手羽先やらチャーハンやら詰めてもらって会社に持ち帰ってみんなで食べた。
その後は、ニュースサイトやらTwitterやら眺めて被害の大きさに呆然。相変わらずの余震の頻度に恐怖を感じる時間。東京メトロを皮切りに、少しずつ電車が動き始めたという情報が。都営線も動き始めた。そして0時頃には小田急も動くとの話も。どのくらい動くのかが問題だったのだけど、小田急が終夜運転するとの話をキャッチ。夜1時頃、会社を出発。小川町駅へ。新宿線は「1時間に1本程度」というアナウンスの下で一応運行中。30分まって来なかったらあきらめて会社で寝ようと思ったら、5分で来た。あまり人が乗ってない。そのまま新宿へ。小田急のホームへ向かうと、やっぱり人があまりいない。ほどなくやってきた急行電車に座れた。しかもその電車が小田原行きの最終電車というアナウンス。これ以上ないタイミングだった。
2:15新宿発。自宅に着いたのが4:00くらい。自宅についたらおくさんもまだ起きていてくれた。情報収集のためとテレビを着けていたのだけど、緊急地震速報がなりまくって怖い。ケータイも。シャワー浴びに行くのもものすごく勇気が必要。寝る時も、すぐ外に飛び出られるような服着ないと怖かった。
_ チャティ [こちらもモトラパーツリスト落札です。サービスマニュアルはチェックしわすれて落とし損ね。うぷ。明日は6時の新幹線。台湾..]